1953-12-17 第19回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第2号
それが、次いで桓武、平城の御世になりまして、坂上田村麿が蝦夷を征伐したあの時代に、命を奉じまして北山村の山宮からただいまの富士宮市にあります本宮の位置に御遷宮になりまして、今日に至つておるのであります。
それが、次いで桓武、平城の御世になりまして、坂上田村麿が蝦夷を征伐したあの時代に、命を奉じまして北山村の山宮からただいまの富士宮市にあります本宮の位置に御遷宮になりまして、今日に至つておるのであります。
又その時の木工頭をいたしたのは坂上田村麿であります。これは漢人の子孫、後に征夷大将軍、その時の内閣は参議に大和の家麿がおります。大和の家麿というのは日本に帰化して和史という姓を改めたのであります。この方は百済の王族であります。百済の王族であり、又桓武天皇の外祖父でありました。参議に列して、そうして内閣の政治に携わるという帰化人としましては珍しい政治を行た方だつと考えます。